昆虫あれこれ

屁理屈の芸術

  屁理屈の芸術

近くの植物園を散歩していると、すれ違った庭師さんから「ほら」とふいに手渡される。

なんだろうと思いながら反射で受け取ると、タマムシだった。ただ、既に死んでしまっており、頭の部分がない。

ぴかぴか光る体。これも、はじめて見た。

夫によると、これは「構造色」というものらしい。
シャボン玉やレーザーディスクと同じ、そのもの自体が色を持っているわけではなく、細かい反射や光の波長が金属光沢を放つ。そのため死んでしまっても色褪せない。

これまで「玉虫色」というのは言葉として何となく知ったつもりでいたが、本物の「玉虫色」はこんなに色鮮やかだったとは!

こんなに目立つのだから、さぞ生き難かろうとおもうも、反して鳥たちは金属光沢を嫌うため捕食からは逃れているとのこと。
わからないものである。

ただ、じっくり眺めて光にかざして、驚きと自然がつくる美しさへ感嘆の気持ちは生ずるものの、なぜか心がおどらない。
寂しさのような、しんとする気持ち。

庭で土に還すことにした

頭が無いことが、その原因を把みやすくしてくれたが、私は生きていないものは苦手なのであった。これは生き物だった、空っぽの殻。

虫は、それぞれの都合で活動するのがふしぎであり楽しく、どんなに美しくとも、死んでしまっているものをおもしろいとは感じない。

芸術は私にはわからないが、その構造色の美しさ故に「玉虫厨子」なるものも、1,400年前にはつくられたそう。タマムシの羽を装飾品としてあしらっている。
虫は好きなのに、これは正直に言って「気持ちが悪い」と感じた。累々たる死が装飾とは。

因みに、虫が恐い・苦手という人がいるが、それは生き物はふつう、防衛本能として自分とは違うもの、違う形の生き物に対して恐怖心を抱くかららしい。
理解が出来ないものへの畏怖。

そういう意味では、「玉虫厨子」の夥しい羽に、生きている虫には感じない恐怖を感じたのは、理解出来ないものだったからかもしれない。

その気の遠くなるほどの殺生も、「縁起が良い」「厨子になることで功徳を積んだ」「美しさ故に仏様に仕える運命」と世の中的に肯定的であることも、理解するのは難しい。
そんなの、ただの屁理屈じゃないかと感じるのは私がへそ曲がりなのか。

タマムシはカミキリムシ(テッポウムシ)同様、幼虫が木材の芯を食べることで木を倒してしまうため、庭師や造園家にとっては頭の痛い虫だそうである。成虫もエノキやケヤキの葉を食べる。

でも、あの庭師さんは「いっぱい飛んでいるけど、中々捕れない」と笑っていて、それは、ただタマムシが好きという顔だった。

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