ただいまと言える場所

世の中の善いもの恐ろしいもの

  世の中の善いもの恐ろしいもの

ロードキル、ということばを初めて知った。

その日、お家のリフォームを手伝ってくださっている方を迎えにいく途中、対向車線の道路に何かがあるのが、そしてそれが生き物である(あった)ことを瞬時に頭が理解した。
恐る恐る運転する夫に「今の、何だった?」と聞くと「リスか何かだと思う。引き返そっか」と言うので、既に息がないことだけは確かだったので、迎えに行った後にもう一度そこへ向かおうとなる。

行くと、タイワンリスが轢死していた。
ふわふわの尻尾と、すべすべの背中。頭はつぶれてしまっていた。
どうして動物を轢いてしまってそのまま立ち去ることができるのだろうと、人間の業の深さに悲しくなる。外来生物で捕獲対象だからとかは関係なく、ひとつひとつが同じ重さの命のはずなのに。
人間だったら大事件のはずなのに。

亡骸を車に乗せて帰り、庭に埋葬した。墓標の代わりにホワイトセージを挿し木する。
申し訳ない、とただただ思う。

時折リフォームを手伝ってくださっているのは子犬の里親さんで、個人で長い間事故猫を保護されていたらしい。
リスを乗せる際もとても手際よく協力してくれ、そして「動物は生きていると可愛いともてはやされても、事故などで無残に死んでしまうと突然汚いものになってしまう。轢いてしまった人は、逃げることで何もなかったことにしたいのだと思う」と、心理を教えてくれた。
とても強くて優しい方だ。

その翌週には、その方を送っていく途中で今度はタヌキが亡くなっていた。内臓が飛び出ていて、助からないことは確かだったけれど、まだ体が温かかった。
また連れ帰り庭に埋葬する。今度はツリージャーマンダーが墓標に。

どちらも台風で元気をなくしかけていた楠(2本ある)のそばに埋葬することで、命がまた別の命にバトンしてくれることを願って。
その後は土が掘り返されたりしていないか見回っているが、(野生動物が他にも暮らしているので)モヤモヤする気持ちは解消されていない。

人間が営利目的などで持ち込み、そして逃げたり放ったりしたことで増えてしまったら駆除をする。
動物でも昆虫でも、1頭1頭はまったく別の命で、そこに生きることを選択したのは彼ら自身ではないはずなのに、ただ必死で適応し今日を生きているだけなのに、命がただのコマか何かのように数で語られる。全然共感も理解もできない。
駆除、捕殺、殺処分、命を奪うことが一番簡単な方法なのだろう。

でもじゃあ、それが自分の大切な人だったら?
少し人間が増えすぎたから駆除しますということになったら?
自分が駆除対象だったら?
誰しも納得できるのだろうか。全然わからない。

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