丁寧に暮らしたかったけれど

憧れは強く

  憧れは強く

タイトル名通りのこの連載。
丁寧に暮らしたいとは思えども、けれどそれは中々難しい。

忙しくもなく、動物こそたくさんおれど子育てをしているわけでもなく。
ただただ、ほこりも洗濯物もためてしまい、献立はカレーカレーカレーシチューシチューシチューを、毎週呪文のようにローテーションしてしまう。

こんな私だが、100%手づくり食、神経質なレベルで掃除が行き届き、服もニットもお人形もお手製という家庭で育った。
何しろ夏休みの自由研究は母親の勧めで「食品添加物の種類」なんてものを書いたくらいなのだ。

それが幸か不幸か、同じようにできないことが、いつしかコンプレックスとなった。そして巷には「丁寧な暮らし」や「オーガニック礼賛」が溢れている。

おしゃれな人が、手の込んだ美味しそうな料理をつくり、素敵なインテリアの中、自然体で活動的に暮らしている。
憧れないわけがない。

しかしこれが中々どうして。

センスというべき自分の実力と、暮らしの中で重きを置くポイント、諦念と安堵の狭間で、ごく普通の人ががんばってみた…けれど、な暮らしを書いてみたい。

「丁寧に暮らす」呪縛に少し疲れてしまった方には、きっと共感いただけると思うのだ。そう、呪縛なのかもしれない。

出来合いのものは「体に悪いもの」が入っている(という呪縛)、けれど、それを多用してしまうことへの後ろめたさ。

ほこりや動物の毛が舞う部屋にはアレルゲンが蔓延している(という呪縛)、けれど、掃除機が苦手で、重い腰を上げられない後ろめたさ。

健康のためにはスポーツをするべき(という呪縛)、けれど、人見知りなうえ根っからのインドア派故に踏み出せない後ろめたさ。

収入を得て、好きなことを仕事にするかっこ良い働き方(という呪縛)、けれど、一度つまづいてしまってからというもの、いまだ社会に戻れていないという後ろめたさ。

夫はすべて「個性」だと言ってくれる。この夫と結婚できただけで私の人生100点なのかもしれないけれど、憧れるものは憧れるのだ。
素敵に暮らしたい!

ひとつだけ、我ながらセンスがあるのではと思えるのは、植物を育てること。(センスというのは有るか無しか、らしい。良いか悪いかではなく。)

以前は同僚の枯れかけた植物を預かり、復活させることを趣味にしていた。
きっとお料理上手な方も、きれい好きな方も、アクティブな方も、抑えるべきコツをつかむセンスが、それぞれあるのだろう。

預かった当初。左のピレアグラウカが…
返す頃にはこうなる
とりあえず猫さんナースが確認
獅子葉マメヅタは、新芽を確認して返却

自分を気に入ることがむずかしい私が、色々試して「苦手だけれど、これは目が楽しいレベルにできた」というものたちを、ここに素直に出そうと思っている。

丁寧に暮らしたかったけれど

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