野犬と暮らす

はてさて野犬

  はてさて野犬

野犬、とひとことで言っても様々な生い立ちや環境、それぞれの個性によっても一括りに説明することは難しいだろうと思う。

ただ、夫も私も犬と暮らした経験はあっても野犬ではなかったので、野犬とはどういうものか、ヒントが欲しかった。

インターネットを探しても、一般的に野犬とはこういうものという記事はあっても、人との暮らしに慣れる様子が逐一書かれたドキュメンタリーブログなどは、中々見つからない。

それどころか、私と夫は昨年の秋に、クリステル・ヴィ・アンサンブルが開催するフォスターアカデミー セミナー「殺処分対象となった犬を保護し、譲渡するために」 というものを聴講し、「猫がいるし、野犬は無理かもしれないね」と話していたのだ。

岡山県の保護団体「しあわせの種たち」代表の濱田一江さんが講師を務められたそのセミナーでは、実際に譲渡された里親さんも参加され、野犬の素晴らしさとともに、人と暮らすことの難しさも示唆されていた。(体験談には、先住ハムスターを食べてしまったという衝撃的なお話もあった)

なのに野犬。しかもファミリー。

だからこそ、ここでは出会いから細かく、我が家の野犬たちについての一体験談を記載していこうと思っている。
もちろん、攻撃的な子や臆病な子、虐待を受けた子、傷病のある子やそれぞれの年齢、住んでいた地域などで違いもあり、すべての子に当てはまる訳ではない。

我が家のハンナは、山口県の日本海側「油谷」というエリア出身で、ひたすら我慢強くおとなしく、人が怖くて怖くて銅像のように固まっている、そんな子だった。クッションが飛び出すたびに、押し込むだけで数時間固まった。

病院を拒否したので、傷病の有無は現状わからない。見る限りやせ細ってはいるものの、病気があるようには見られない。

野犬として生きてこれたのだから身体能力は高く、賢いのだろう。しかし、それを確認することは不可能なほど、クレートから出てこない。ただ、いつ何時逃走を図るかわからないので、こちらは用心するのみ。

やって来た日、たった1度手に持ったボウルからごはんを食べただけで、ハンナはひたすらじっと過ごした。
恐らく、生命の危機レベルでお腹が空いていて、背に腹は変えられなかったのだろうと思う。決して懐いたとか、保健所という特殊な場所を出られたことで安堵したとか、そう言ったことではなかった。

排泄は、人間がその部屋を出た隙にペットシートでしてくれた。
「もうお母さんしなくていいんだよ」とだけ声をかけて、そっとしておいた。この子が笑ってくれる日が待ち遠しい。

こぶた人形のうんこぶちゃん

こぶちゃんたちは、月齢が低かったこともあり、何も恐れずどちらかというとラテンな性格で、人にも簡単に懐いた。吠えられても唸られても、母犬が大好き。常ににこにこ。

ブイブイとおっぱいを探しながら、ふやかしたごはんとスキムミルクという、お好みでないものでも文句も言わずによく食べ、片付けがしにくいところを選んでいるかのように、ウンチをした。
誰かがウンチをすれば、誰かがよそでオシッコをする。

片付けるペーパーが面白くて、くわえて持ち逃げをする。慌てて私が追いかけるのが面白くて、みんなで持ち逃げをする。
その間に誰かがウンチをする。そしてオシッコをする。走ってる奴らが踏みつける。

なんともはや。
この時点では、可愛いさよりも大変さが上回っていたが、ただ猫たちの子育て経験が、これもつかの間であることを教えてくれていた。

280gだった捨て猫ちゃん

人間のお母さんたちは、これを数年に渡ってお世話するのだから、本当に尊敬する。犬や猫は、そうは言っても半年くらいのことなのだから、思い詰めるようなことではないのだ(と、自分に言い聞かせた)。

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