野犬と暮らす

夫婦ふたり、大所帯になる

  夫婦ふたり、大所帯になる

2019年2月24日、眠る前にInstagramを開くと、ひとつめに野犬の母子犬5頭が明日、殺処分になるという記事が上がってきた。

SNSに馴染めずFacebookはおろかLINEもTwitterもアカウントを持たない中で、唯一Instagramは必要があり、月に1,2回程度開くようにしていた。

余談だが、我が家は年の暮れにWikipediaのある記事で「僻村」と書かれた郊外の古民家を購入しており、手を入れ始めたところであった。

そして家には既に、1匹は捨てられ2匹は「要らない」といわれて家族になった、3匹の猫たちが居た。

人間2頭に、動物が8頭。
ちょっと無理はあるけれど、不可能では無いはず。

そして何より、ただ普通に暮らしている中で、自然と向こうからやってくる出来事は受け入れるべき何かだと感じていた。スピリチュアル信仰はないけれど。

その記事も、普段はそうした内容をあげない方が、唐突に1つだけリポストしていた記事だった。
保健所の収容動物を扱うような記事は、端から皆助けたくなってしまうから、普段夫に閲覧を禁止されている。

ベッドに入り「絶対に無理かな」と持ちかけたところ、殆ど寝ずに真剣に悩んでくれた。私も結果が気になって眠れなかった。保健所は子犬の月齢が浅いため、母子一緒でないと引き出しに懸念を示しているとあり、5頭を引き出す人はそうそう現れないように思えた。

実際、その記事のコメントにも「5頭引き取れる余力がある家が羨ましい」と書かれた。
余力はないけれど、子犬が乳離れすれば、希望する方がいれば里親にも出せる。今決断しないと、少なくとも母犬は死んでしまう。(子犬だけ、直前に団体さんが保護をしてくれていた)

浅く眠って25日の朝、目を覚ますと「7時に出発するよ」と夫に言われる。慌てて友人に留守宅のお願いと、団体さんへ里親の申し入れの連絡をした。

何しろ母子犬がいる保健所は、山口県なのである。我が家は神奈川県。
片道1,000km、往復2,000km。
この間、常滑に行くことを「遠いから」と諦めたのに、何ということだろうか。

偶然は重なり、直前に勤めていた会社を辞めた友人は、この日なら留守宅を守りに来れると言ってくれた。この友人にのみ、我が家の猫たちは懐いているのだ。

I’m a racing car passing by like Lady Godiva
I’m gonna go go go
There’s no stopping me

少し前に映画を見たQueenを聴き、太陽を追いかけるようにレーシングカーではなく普通車を西に飛ばした。夫は運転がとても上手いが、私は10年ぶりの運転。難易度の低いエリアだけ、教官の夫を助手席に乗せて、手汗をかきながら走る。

緊張で食欲がわかず眠気もなく、富士山もナガシマスパーランドも、太陽の塔も宮島も、ぜんぶ眼下に通り過ぎ、22時半に山口県の美祢インターに到着。

待ち合わせの場所で保護団体さんから、母子犬を譲り受ける。
小さな子犬が可愛いのは当然ながら、母犬がなんとも可愛い。「お母さん、がんばったね。もう大丈夫だよ」と声をかけてハッチを閉め、とんぼ返りでまた高速に乗った。

その頃色々と事情があり眠れない夜が多く、夜が来るのが怖かったのが、太陽を追いかけ西に行き、今度は追い抜いて待ち伏せするように東に戻るのが愉快で、唐突に夜が怖くなくなった。
日本は東西に長い。日が昇り日が沈む国なのだ。
そんな当たり前のことが、私には大発見だった。

浜松のSAで追い抜かれて夜明けがきた。薄くなった月と、きれいな空。

いくつかのSAで水やごはんを勧めるも、母犬はまったく手をつけず、子犬たちはおっぱいにすがりついているので仮眠は取らずに家に向かって急ぐ。
帰りは夫がすいすいと運転してくれたおかげで、26日の朝9時半には家に到着した。

着いた途端、手にもったボウルから、母犬がごはんに食いつく。排泄もしてくれて、ようやく安堵した瞬間だった。

留守宅を守ってくれた友人は用事があるため御礼もそこそこに入れ替わりに帰り、夫はそのまま溜まっていた仕事を鬼気迫る様子で片付けた。

私は母子犬のお世話と猫たちのケアを担当することにした。

野犬と暮らす

記事全体の中から前後の記事

同じカテゴリー[ 動物たち ]の前後の記事

同じシリーズ[ 野犬と暮らす ]の前後の記事

同じ著者[ 妻執筆 ]の前後の記事